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アフリカのシュトロハイム [映画]

シュトロハイムの小説『Poto-Poto』を読み終わった。

シュトロハイムがどのような経緯で小説を出すようになったのかは正確には知らないが、映画を撮ることができなくなってから温めていた企画を本の形で出したようである。全部で3作あり、最初の『Paprika』は本国で出版されたのだが、他の『Les Feux de la Saint-Jean』と『Poto-Poto』は現在までオリジナルの英語版では読めず、フランス語訳しか存在しない。今回読んだ『Poto-Poto』は映画『ケリー女王』のカットされた後半部分の舞台を引き継いで、アフリカで展開される物語である。

シュトロハイムは映画を文学の水準にまで高めた、みたいなことがよく言われていたと思う。この水準が何なのか詮索する気はないのだが、その文学的な映画を撮ったと言われるシュトロハイムが書いた小説が文学的なのかと言えば、それは全く文学的ではない。本の表紙にはご丁寧に「小説」と銘打たれてはいるものの、これは純然たる映画だ。文学というのは言葉をめぐる逡巡だと自分は勝手に考えているのだが、そのような逡巡の影はシュトロハイムにはない。レンズを向けて焦点が合えばそれで事足りるかのように、シュトロハイムの言葉は明確な輪郭を得てフレームに収まっている。ブルジョワ世界の言葉、娼窟の言葉、軍隊の言葉、医者の言葉、そして未開のジャングルの言葉、全てスタジオの美術倉庫から入念に選り分けてセットに配置される。それが正しいのかどうか知らない。両大戦間の有閑マダムが愛用していた香水の名前などわたしは知らないし、アフリカ原住民の描写はコンラッド以上に差別的だと思う。そもそも、シュトロハイムはアフリカに行ったことがあったのだろうか。しかし、そんなことはどうでもよい。過不足なく、フィルムに像を定着させること、この点に関して「小説家」シュトロハイムが誤ることはない。

物語は、アフリカ東沿岸部を航行する豪華客船から始まる。欧米の富裕層、アラブの王侯貴族らに交じって、女主人公マーシャも乗船している。マーシャは、亡命ロシア貴族の成れの果てらしいが、今では自分の体を賭け代にルーレットで金を巻き上げて生きている。しかしある晩、賭けに負けたマーシャは成金アメリカ人に身を任せている現場をその細君に取り押さえられる。スキャンダルを恐れた船長は、マーシャを沿岸部の錆びれた港町に下ろす。マーシャが部屋を得たボロ宿では、折しも交易で巨万の富を得たヤンの乱痴気パーティが始まっていた。マーシャを見初めたヤンは、彼女を力づくでものにしようとするが、マーシャはルーレットでの勝負を提案する。勝てば大金、負ければ結婚。そして、マーシャは負ける。

ヤンが拠点にしている奥地のポトポトで二人の新生活が始まる。タイトルにもなっているように、このポトポトという土地が重要な役割を演じている。シュトロハイムの映画は、頽廃したヨーロッパ上流社会を舞台にすることが多かった。アフリカという土地は、そこからの逃げ道であるかのような錯覚を与える。しかし、そうではない。そこは頽廃の程度いっそうひどく、腐敗した土地なのだ。文明と法の軛を逃れて、人も自然も底なしに堕落する。シュトロハイムは、ポトポトを次のように描写している。

ポトポト!沼のほとり。 沼は際限がなく、危険で、悪疫を発し、ごった返し、悪臭を放ち、全てを破壊する。 沼は太陽のした大きな泡を沸き立てている。 沼、あらゆる希望の墓場。 沼、冥土のその向こう! 棕櫚、木蔦、攀じ上る葡萄の枝、蔓植物、ぶら下がり、這い上り、巻き付く植物群の乱痴気騒ぎ、寄生してあらゆるものを飲み尽くす。 花々は、エキゾチックで、色彩に富み、香りに満ちており、頭をくらくらさせ、息を詰まらせて、死に至らしめる。 鳥たちは、奇抜な羽を纏って輝き、不安をかき立て、わめき散らす。 うるさい猿どもは、虱を潰し合っている。
(Erich von Stroheim, Poto-Poto, Pygmalion, 2001, p. 83)
 
ポトポト到着早々にヤンは、ツェツェバエに刺される。これに刺されると、感染症にかかりもう治らない。眠る時間がどんどん増えて死に至る。ただでさえ粗暴であったヤンは、恐怖にとらわれて狂人と化す。マーシャの地獄のような生活が続く。そして、ある日空から故障した飛行機がポトポトに落下するのだ。飛行機に乗っていたアメリカ人将校ティム・ホークス(ハワードがモデル?)とマーシャは一目で恋に落ちる。二人の様子に感付いたヤンは、嫉妬に燃え、ポトポトから脱出を図る二人に恐ろしい責め苦を課すのであった。
 
シュトロハイムは頽廃した世界を好んで描きながら、ときとして『結婚行進曲』のようにその世界の中で恐ろしいまでに無邪気な純愛を探求した監督である。『Poto-Poto』においてもそうである。愛し合う二人の恋人と泥しぶき上げて跋扈するクロコダイルの群れ。小説はもちろん面白い、しかしシノプシスがプロデューサーに提示されたと伝えられるこの物語を、シュトロハイムはどのように視覚化しただろうか。

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コメント 1

gab

あんしゃんて
そうか poto-poto 小説があったのですね。
Queen Qと sunset bv.見返して シュトロハイム黙想しておりましたgwa
体調がよくなったので blind has.購入して 聊か シュトロハイムにおぼれたいと思ヒました。ブログ継続されますことをおいのりもうします

by gab (2014-05-15 13:00) 

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