本を探す
田舎で本を探すというのは大変な作業である。
金を持っていればネットを駆け巡って稀覯本を入手することも楽な時代ではあるのだけど、金がない身としては極力図書館を頼らざるを得ない。
探していたのは1968年人文書院刊行の『リルケ書簡集』全2巻。なぜこの本なのかは後述するが、おそらく東京辺りであれば見つけるのにそれほど苦労するような本でもないと思う。しかしネットで検索をかけたところ、わが県でこれを所蔵しているのは某大学図書館一件きりということが判明、仕方なしに電車とバスを乗り継いでどういう気まぐれでこのようなところに大学を開く気になったのかと嘆きたくなるような辺境まで足を運ぶ。ところが、である。ネット検索ではいま一つ記載が曖昧だったのが気にはなっていたのだが、ここで所蔵されているのは全2巻中の1巻目だけであった。それも不幸中の幸いと喜ぶべきなのかもしれない。とにかく、それだけは借りて帰宅した。
リルケは「若い詩人への手紙」とかロダンに関して書かれたものとか名高い書簡を数多く残しており、日本語訳では文庫として簡単に読むことができるものもある。自分は前々からリルケに強い興味を持っていたわけでもないし、これらの手紙を読んだこともなかった。ただ、今回手紙を読みたいと思うに際して、上のように宛名人や主題別にまとめられたものではなくて、有名なのも無名なのもひっくるめて時系列に編纂されているものを読みたかったのである。そこで探してみたところ、ドイツ語ではどういうのがあるのか知らないけど、日本語訳ではこの人文書院の『書簡集』を読むべきだろうと見当をつけた。
ここに収録されているのは残されている全ての書簡ではないはずだが、時系列で読む面白さの一つはまずリルケが漂泊の詩人であることに因る。だいたい一つ場所に半年として住み着くことがない。漂白の理由は、経済的事情、本人の気まぐれ、とさまざまではある。「オレもうちょっとこっちにいます」とかローマから書いといて、翌便では「どうも、スウェーデンに来ちゃいましたよーん」などと事も無げに書いている。その上家族離散である。妻子があるのだが、娘はかみさんの実家に預けたままで、本人もかみさんも個々に流浪、「こんど僕たちの可愛いルートちゃんと会う機会があれば、僕の代わりにチュッチュッしておいてちょうだい」という具合なのだ。ヴァーチャル家族。手紙の中にしか所帯を持てない男なのである。
時系列で読むもう一つの面白みは、たとえば「若い詩人への手紙」なんかだと「チミ、忍耐が必要ですよ、忍耐が!」などと偉そうに書いている人物が、別の名宛人に送った次の手紙では「ああああ、オレもう我慢できないよーん、どっか涼しいとこ行きたいなあああ」などと書いているところに立ち会うことができることである。これがなかなか味わい深い。
結局、人文書院の『書簡集』全2巻はネットで古書を探して購入してしまった。訳文の語感に抵抗を感ずる部分もあるにはあるのだが、まあ丁寧に訳されてる方だと思った。各巻600ページ前後で二重箱入りの豪華本2冊を1万円以下で手に入れられたのだからまあ安い買い物と言えるのかもしれない。とはいえ、懐が痛いことには変わりはない。クライストの書簡集も気になっているもののこちらは手が出せそうにない。
金を持っていればネットを駆け巡って稀覯本を入手することも楽な時代ではあるのだけど、金がない身としては極力図書館を頼らざるを得ない。
探していたのは1968年人文書院刊行の『リルケ書簡集』全2巻。なぜこの本なのかは後述するが、おそらく東京辺りであれば見つけるのにそれほど苦労するような本でもないと思う。しかしネットで検索をかけたところ、わが県でこれを所蔵しているのは某大学図書館一件きりということが判明、仕方なしに電車とバスを乗り継いでどういう気まぐれでこのようなところに大学を開く気になったのかと嘆きたくなるような辺境まで足を運ぶ。ところが、である。ネット検索ではいま一つ記載が曖昧だったのが気にはなっていたのだが、ここで所蔵されているのは全2巻中の1巻目だけであった。それも不幸中の幸いと喜ぶべきなのかもしれない。とにかく、それだけは借りて帰宅した。
リルケは「若い詩人への手紙」とかロダンに関して書かれたものとか名高い書簡を数多く残しており、日本語訳では文庫として簡単に読むことができるものもある。自分は前々からリルケに強い興味を持っていたわけでもないし、これらの手紙を読んだこともなかった。ただ、今回手紙を読みたいと思うに際して、上のように宛名人や主題別にまとめられたものではなくて、有名なのも無名なのもひっくるめて時系列に編纂されているものを読みたかったのである。そこで探してみたところ、ドイツ語ではどういうのがあるのか知らないけど、日本語訳ではこの人文書院の『書簡集』を読むべきだろうと見当をつけた。
ここに収録されているのは残されている全ての書簡ではないはずだが、時系列で読む面白さの一つはまずリルケが漂泊の詩人であることに因る。だいたい一つ場所に半年として住み着くことがない。漂白の理由は、経済的事情、本人の気まぐれ、とさまざまではある。「オレもうちょっとこっちにいます」とかローマから書いといて、翌便では「どうも、スウェーデンに来ちゃいましたよーん」などと事も無げに書いている。その上家族離散である。妻子があるのだが、娘はかみさんの実家に預けたままで、本人もかみさんも個々に流浪、「こんど僕たちの可愛いルートちゃんと会う機会があれば、僕の代わりにチュッチュッしておいてちょうだい」という具合なのだ。ヴァーチャル家族。手紙の中にしか所帯を持てない男なのである。
時系列で読むもう一つの面白みは、たとえば「若い詩人への手紙」なんかだと「チミ、忍耐が必要ですよ、忍耐が!」などと偉そうに書いている人物が、別の名宛人に送った次の手紙では「ああああ、オレもう我慢できないよーん、どっか涼しいとこ行きたいなあああ」などと書いているところに立ち会うことができることである。これがなかなか味わい深い。
結局、人文書院の『書簡集』全2巻はネットで古書を探して購入してしまった。訳文の語感に抵抗を感ずる部分もあるにはあるのだが、まあ丁寧に訳されてる方だと思った。各巻600ページ前後で二重箱入りの豪華本2冊を1万円以下で手に入れられたのだからまあ安い買い物と言えるのかもしれない。とはいえ、懐が痛いことには変わりはない。クライストの書簡集も気になっているもののこちらは手が出せそうにない。
タグ:手紙
2010-02-07 01:10
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