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仏は出張中 [荘厳]

先週だか先々週、円空入定の地を訪ねたことはここにも書いたけど、一昨日は上人生誕の地と考えられている羽島の中観音堂へ行った。前は山を越えて行ったわけだが、今回は川下へ向かって平野を原付で駆け抜けた。

円空の生誕地については諸説あり、郡上の方とする見解もあるようだが、『近世畸人伝』などの文献的裏付けもあるらしく羽島の方が有力と聞く(つい最近梅原猛の『歓喜する円空』を読んでそういうことを知った。そこに言及されている資料、見解が全てかどうか知らないので、各説の正当性がどの程度のものなのかは量りようもない。ただ、『歓喜する円空』はおもろかった。円空についてまとまった本を読むのはこれが初めてである)。ここには円空が産湯につかったとされる井戸もある。それは、さすがに伝承の域を出ないであろうが。

中観音堂は、併設の資料館の写真を見ると、かつては木造のボロ堂で、破れた天井から青大将が落ちてきそうな、とても味わい深い外観をしていたみたいだが、いまは鉄筋で小ぎれいなつくりになっている。ここでは初期円空仏の完成期に作られた仏像を中心に十数体を拝むことができる。

荒子観音で見た仏像群が彫りの運動をそのまま見せている感じがするのに対して、ここのはまだある様式性を追求しているような感じがする(そういうことは解説を読んだから気付いたのだと思う)。彫りは丁寧で、鬼子母神の衣の襞とか不動明王の腕の隆起は巧みである。その一方、不動明王が細部のバランスが崩れるのを度外視してとっているポーズは、緊張を表現していると言うよりも、それ自体いつ壊れるかもしれない形体が緊張状態におかれていて、実に面白い。

仏像の数が何か足りねえんじゃねえか、と思ってパンフと見比べてみると、大黒天がいない。堂守のじいさまに聞いてみたが要領を得ない、というか何かお茶を濁された感じがした。隣の市でやってる展示に出張中だと考えるのだが、かつての習俗通りに病人のいるお宅に貸し出されていて、そういうことは余所者に口外できないとかあるのかしらん。それとも、心の清い人にしか見えないだろうか。


タグ:円空
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